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【*】愚行権をどれだけ社会が許容するか

今回も先生のブログからお題を頂戴することにした。
というわけで今回のテーマは「愚行権」。

簡単に言うと、愚行権とは「他人に迷惑をかけていないし、本人がいいと思うのなら、他人にそれをとやかく言われる筋合いはない」ということであると私は解釈している。

まず、自分の身の回りにある「愚行」に値する行為というのを考えてみた。


私はどうも”歩く”ということが好きなようで、十数キロ程度の距離だったら平気で歩く。
ひどい時には、バスや電車で1時間程度はかかるような距離を、所持金の余裕があるにも関わらず半日近くかけて歩き続けたこともあった。
それを見た周囲の反応は、
「どう考えても時間の無駄に他ならない」
「お前は生きてるだけで無駄なのにその上無駄なことをするな」
などとまあ冷たいものである。

私自身は、他人に金銭的に負担をかけているわけではないし、何かしろの傷害を与えているつもりはない。
ただ、とある友人にこんなことを言われたことがある。

「お前のそういう馬鹿馬鹿しい行動を見ていると吐き気がする。目障りだ」

問題点はここにあると私は考えている。

要は感じ方なのだ。
精神的なもの、不快感を与えておいて、それが「他人に迷惑をかけていない」と言い切れるだろうか。
「見るのが嫌なら見なければいい」という意見もあるが、事実そうやって見たくないものだけを見る、という選択がどれほどできるのだろうか。
少年漫画誌のケースで考えてみよう。
ふと電車の中を見回してみると、漫画を読んでいる中年男性が目に入ってしまった。
予期しない場所にある予期しないものを見ないようにする、というのは果たして可能だろうか。

だが、ここまで考えてみると、あらゆる場所に存在する行為が「許されざる愚行」になるのではないか。

先生は、飲酒や賭博には多少は他人への損害があるとしても、そう酷いものではないから気にするまでのことじゃない、としている。

私が今上げたものは、少しでも損害があればそれは許されない、という基準で判断している。

つまり、この愚行権のライン、とりわけ快・不快に関するものは、人によって多種多様に変化するわけである。

私が本当に問題だと思うのは、そうした人によって千差万別に変わるようなものを、一定の基準のルールで強制的に当てはめさせるのはいかがなものか、ということなのである。
男性職員の髭の問題にしても、それは当事者たちだけで解決させてやればよいことであって、他のすべての人々を巻き込むようなルールにねじ込むのは、正直よい考えとは思わない。

そもそもこの愚行権の定義事体が間違っているのかもしれない。
本当に他人に迷惑をかけない行為というのがどの程度この世にあるのか。
そんな曖昧な権利を振りかざして混乱を招くようなことがあるのなら、最悪無くしてしまったほうが寧ろ良いのではないかと私は考える。

愚行権-Wikipedia
市役所が男性職員のひげ禁止


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確かに「他人に迷惑をかけていない」

と言い切れる行為は少ないでしょう。
しかし,誰がいつ,どんな形で「迷惑」を被ったと訴えるかを予期できない限り,
それを「予期できなかったから問題だ」というのは後付けの理屈になります。

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